ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 34 |
「どうしてそう思う?」 指し示された張本人は、まったくの仏頂面だった。 ええええ? ちょっとくらい驚いてよ! それとも私の答えなんてとっくに予想してたってこと? なんにせよ、この反応じゃあ探し人が合っているのか違っているのか、正直さっぱりわからない。 まあ、合っていたとして、柊一路がどうしてそんな依頼をしてきたのかは、これまたさっぱりなわけで。まったくもって謎だ。 「状況がすべて先輩を指しているからです」 隠す意味もないので、結論に至った理由を正直に告げる。じっと見つめる先で、柊一路が落胆したように目を伏せた。 うーん、この反応はどう受け取るべきなの? 違うってこと? ……まじか、高確率でアタリだと思ってたのに。 「間違ってますか?」 恐る恐る尋ねてみると、ふいっと顔を背けられた。よ、読めない……どっちなんだ。ああああ、ホント、メンドクサイ男だわあぁっ。 「……五十点」 ――は? ぼそりと呟かれた点数に唖然とし、そのままがっくりとうなだれる。 ラグに描かれた幾何学模様を凝視しながら、なんじゃそりゃああ、と叫びだしたい衝動にちょっとだけ駆られた。 五十点って……。 ものすごく、微妙、だ。つまり、ぜんぜん白黒がついてない。 求めている答えだったのか、そうでないのかくらい、教えてくれてもいいんじゃないのか柊一路。 自分から聞いといてこの中途半端具合はどうなのさ。ううううう、釈然としない……っ。 「……はっ」 洩らされた苦しげな吐息に、幾何学模様からばっと顔を上げる。 どうにか持ちこたえているように見えるけれど、ラグの上に片手をついて眉を顰める柊一路は、多分もう限界だ。 慌てて差し伸べた手は、けれど、再びぱしんと振り払われた。 「先輩」 「触るナ」 はっきりとした拒絶に、ぎゅっと下唇を噛み締める。 いままで散々セクハラし放題だったくせに、この局面で、こうもきっぱり拒否してくれるとは……。 そんっなに、私が相手じゃ不満か! この頑固者! 「意地をはらないでください」 「違う、そうじゃナイ」 なにがちがうってぇのさ。いまの貴方はまるで駄々っ子でしょうが。 ああ、メンドクサイ。こうなりゃ実力行使にでてやろうじゃないか。 荒く上下する胸元をきつく見据え、両手を前に突き出す。 もう振り払う猶予なんて与えない。がばっと、思いっきり抱きついてやった。 細身にみえて以外にがっしりしている長躯が、びくっと身をひこうとした。けど、しがみついた私に、引く気は全然なかった。 ……こんな状況じゃなきゃ、間違ってもできない真似だわ……。 硬い背中に回している腕が馬鹿みたいに震えてる。どうにか止めたくて、黒シャツを更にぎゅっと握り締めた。 途端。きつく、ものすっごくきつく、抱き返された。息が止まるんじゃないかっていうくらい、突然に、激しく。 「――侑那」 私の名を呼ぶ、熱を帯びた声。耳にかかる吐息と、頬に感じる体温に、どうしてか目頭が熱くなった。まぶたの奥がじんと痛い。 わけがわからない。でも……この気持ちを、知っている気がする。遠い記憶の片隅に、確かに引っかかるものがある。 でも、まだ手が届かない。つかみ取れない。 ああ、間違いなく私は思い出せていないんだってことが、すとんと心の中に落ちてくる。 どうやったら取り戻せるんだろう。たぶん、記憶で見た小さな女の子は、私。 一緒にいた子は――おそらく。 そう、おそらく、だ。すべては想像、推理に過ぎない。確証は記憶の中にあるはずなのに、それがすっぱりきっぱり、欠落している。 あまりのもどかしさに、とうとう涙がひと粒、ぽろりと零れ落ちた。 頑なな柊一路はきっと教えてくれない。答えてもくれない。ピースはほぼ揃っているのに、私の中で何かが閉じられている。 小さなころの私。魔女が嫌いだといっていたあの子は――。 黒猫が渡してきた一葉の写真には子供が二人、片方は私、もう片方は――。 白い肌、さらさらした薄茶色の髪、きゅっと引き結ばれた唇がほころぶと、本当にお姫様のようだった。 なにより、強い意志の込められたアーモンド型の瞳が、とても綺麗で。そう、黒色の双眸が――。 視界が真っ赤に染まり、ずきんっ、と頭の芯に激痛が走った。 「…………っ」 「侑那?」 様子がおかしいことに気づいたらしい柊一路が、私を引き剥がし顔を覗き込んできた。 頭が後ろにがくっと傾ぐ。力がはいらず、自分の重みを支えきれない。 「侑那……っ」 ああ、仏頂面がめずらしく取り乱してるなあ。フフ、と笑おうとして、唇の端が僅かに引きつる。 両肩を引っ張られ、今度はぐらりと前に傾いだ。そのままの勢いで柊一路の胸に倒れこむ。 「……い……た……っ、あ……たま」 「頭? 痛むのか?」 頷いた途端、猛烈な眩暈に襲われた。硬い胸に顔を押し付けたまま動けない。 ぐるぐると、まさに世界が回る。眼を閉じても暗闇が回ってるってどういうことだ。 「わた、し……ちいさい、ころ……すごくきれいな……子に……」 せめて思い出しかけている断片を伝えたくて、必死に言葉を搾りだしたけど、徐々に舌がもつれて自分でも何を言っているのかわからなくなった。 再びじんと目が熱くなった理由が、痛みからなのか、悔しさからなのかもわからない。 「……ひ、うっ」 細く漏れた嗚咽に、私を支えている腕が微かに震えた気がした。 あああああ、もう! 泣きたいなんて思ってないのに! 全然考えがまとまらない。やっぱり、ひどく目が回る。こめかみがドクドク脈打つ。 ぎゅっときつく、腕の中に抱き込まれた。わずかに嗅いだ血の匂いに、更に眩暈が加速する。 「――侑那」 浸み込むような真摯な声に、胸がぎゅっとした。 ……柊、一路? 言いようのない不安にのろのろと顔をあげると、視界は涙に霞んで、まるで薄い膜がかかったみたいだった。 けれど、至近距離にある柊一路の表情は不思議とわかった。 なんだろう? 凪いだ水面のようなこれは――諦め? 「先、輩?」 涙の残滓が、私の右目からするりと顎に流れ、滴り落ちた。 「もういい。思い出す必要はないから……なにも考えるナ」 宥めるように背中をさすられると、波が引くように痛みが遠のいていく。 気が付けば痛みはすっかり消え去り、襲ってきた強烈な脱力感に知らず眼を閉じていた。 「……も、いいって」 「言葉の通りダヨ」 ぽんっと軽く背中をたたかれる。私を抱きこんでいた腕の力がふっと弱まった。 「あ……」 心もとない小さなつぶやきと、シャツをつかもうかどうしようか迷うように揺れた指先は、たぶん、柊一路も気づいただろう。 ……私の大馬鹿……っ。 俯いてしまえば、あまりの恥ずかしさに顔を上げられなくなった。 でも、すごく不安だったから。このまま柊一路がいなくなってしまうんじゃないかって。 そんなわけ、ない。なのに、感情にも行動にも制御がきかない。全然、だめだ。こんなのまるで――子供? 前にも――こんなことがあった。そう、ずっとずっと、前に。 柊一路が私の両肩に手を載せ、力を込める。離れた体の間を、風が過ぎた。 「そんな顔で見るなヨ」 そんな顔ってどんな顔ですか。いつもみたいに文句のひとつも言ってやろうとしたのに、言葉が出ない。 「ここまでだ」 「――え?」 「依頼を取り消す」 ――取り消す? 依頼を? 「これで晴れてあんたは、俺を守る義務がなくなったわけダ。うれしいダロ? 解放されて」 ……うれ、しい? ええそりゃあもう、うれしいさ。 なにがなんだかわかんないまま初チューを奪われて、脅されて、挙句に彼女なんて肩書きまでつけられて。 解放されるっていうんなら、万々歳。 この仏頂面を拝まなくて済むのなら、これからイキイキ健康に、かつ心穏やかに暮らしちゃうってのよ。 でも。それは、いまじゃない。まだ駄目、だ。こんな終わり方は絶対に後味が悪いに決まってる。 依頼主でなくたって、みすみす狂気に取り込まれるのを見過ごすなんてできるわけない。 「こんな、状態で……放り出したり、できま、せん」 「気にする必要はないダロ、もうなんの関係もなくなるんだから」 ――なんの関係もなくなる。 突きつけられた言葉に、息が止まるかと思った。 「なん、です、か。それ」 低い低い、搾り出したみたいなかすれ声は、確かに私のもの。 突然投げつけられた、あまりにもそっけない淡々とした言いざまに、猛烈に腹が立った。 「いまさら……あっさり放り出すんですかっ」 「俺との縁が切れるんだ、願ったり叶ったりダロ」 ずきずきと胸が痛む。縁が切れる、関係がなくなる、私の人生から柊一路が――姿を、消す。 ずっと前にも、胸が痛くて。苦しくて。でも自分の力じゃどうにもならないこともわかっていて。 それが……ちゃんにとって一番良い事だって、言われたから。 それでも胸は締め付けられるように痛んだ。会えなくなる事が悲しかった。 だから――約束、した。 「……や……」 「侑那?」 「いや、です。私が――守ります」 胸倉をつかんで、きっと見上げる。 『そうだよ、あきらめないで』 いつか聞いたことのある小さな女の子の声が耳元で響く。これが誰の声なのか、ようやくわかった。 魔女は嫌いだって言われたけれど、それでも諦められなくて。 守りたかった。笑ってほしかった。 しゃがみこんでいたその肩が、震えていたから。 ぎゅっと手を握り締めたら、黒い瞳が驚きに見開かれたのが楽しくて。 白い頬がほんのり赤くなったのが、うれしくて――。 目の奥で、ぱんっと白い光がはじけた。 『わたし、ゆうな。あなたは? おなまえ、なんていうの?』 『……ちろ……』 『チロちゃん?』 『え……ちが……』 『ん? なぁに?』 『――いい』 『チロちゃんはおひめさまみたいだねぇ。そうだ、これ、あげる』 |
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