ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 38 |
「え、あれ? ええええ?」 チロちゃんにもらった小鳥が胸元から消えていることに気が付いたのは、おばあちゃんの家に入る一歩手前だった。 何気なく首元に手を触れたとき、あるはずの感触がなかった。ざっと血の気が引く。 「な、い……」 愕然と呟く。 「……たそがれかん?」 一番可能性がありそうな場所を呟いて、辺りに目をさまよわせる。 もう、日が沈む。けど、迷ったのは一瞬。そろそろ悲鳴をあげそうな足を誤魔化しながら、くるりと体を反転させた。 昼間よりもずっと影の増した道。見知らぬよそよそしさに足がすくむ。 それでも諦められなくて。ぐっと手を握り締め、一歩を踏み出せば、後は猛然と駆けるだけだった。 もつれる足でどうにかたどり着いた黄昏館は、残照の中、見知らぬ建物に見えた。 息を切らせながら生垣を抜け、今日辿ったはずの道筋をもう一度辿る。 「……どこ、おねがいだから、でてきて」 あれはそれ自体が守りの符になっている。呪文は干渉を受けてしまい、正しく発動しない。足と手と目でひたすら探すしかなかった。 座った場所では四つんばいになって草を掻き分け、 見つからない。どうあっても、小さな小鳥は姿を表してはくれない。 じわっと視界が滲む。 「……うーっ」 ぼろっと涙の粒がこぼれた。一度堰を切ってしまったらもう止まらない。 泣いてる場合じゃない捜さなきゃと思うのに、身体が言うことを聞いてくれない。 生垣の傍でへたり込み、止まる気配のない涙をカーディガンの袖でひたすら擦った。 ――ばかだ、わたし。チロちゃんがくれたものなのに。だいじにするっていったのに。 「……ひっ、ひぅ……うううううーっ」 こぼれた嗚咽に、がさっと葉の擦れる大きな音がかぶさった。びくっと肩が震える。 「……ゆうな……?」 「え?」 生垣の傍に、チロちゃんが立っていた。 「……チロちゃん?」 まるで初めてであったときの再現みたいだった。お互いの立場がまるっきり逆になっているという点を除けば。 ぱかっと口をあけて呆然としていると、駆けてきたチロちゃんに、両肩をぎゅっとつかまれた。 「誰かになにかされたのか!?」 怖いくらいの剣幕に、ただ首を横に振るしかできなかった。 「本当に?」 「う、うん……ほんとに」 「じゃあ、なんでこんな時間にこんなところで泣いてるの」 薄い手のひらが、私の頬を撫で上げた。 驚きすぎて新しい涙は止まっていたけど、触れられたそこはまだ濡れている。 「……チロちゃん……」 忘れていた涙がぼろっとこぼれた。 「ごめ……ごめんなさい、ごめんなさいいいいっ」」 「え、ええ?」 ぎょっとしたらしいチロちゃんが、慌てたように私の頬から手をどけた。 その距離が。途切れてしまった繋がりが。もうだめだ、チロちゃんにきらわれた、なんて考えにぐちゃぐちゃな頭の中で直結して、壊れたように謝り続けた。 「ゆうな、謝らなくていいから。ね、ちゃんと話して?」 ゆっくりと、あやすように促され、ネックレスをなくしてしまったこと、家に戻ってから気が付いて捜しに来たことをつっかえながらどうにか伝えると、ほっと息をついたチロちゃんが、なんだ、と苦笑した。 「ごめ……ごめ……さ……」」 「うん、わかった。一生懸命捜してくれたんでしょう? もういいから、ね」 ぐすぐすと鼻をすすり、袖で目をこする。しきりにぬぐっていたせいか、肌がひりひりした。 「赤くなってる」 「う?」 顔に当てていた両腕をそっと外され、はれたまぶたの上にチロちゃんの柔らかな唇が触れる。 驚きすぎて口をあんぐり開けた私に、チロちゃんがにっこりと笑った。 「ゆうなの涙、しょっぱい。ほらもう、泣かないで」 「……でも、だって……」 「今度は、私がゆうなに買ってくるから」 「チロちゃん、が?」 「うん。ああ、それとも一緒に行こうか? 二人で旅行する?」 ――チロちゃんと。ふたりで。 さらりと告げられた言葉が、じんわりと胸に染み通る。 それは、つまり大人が付き添わなくても旅行にいけるくらい大きくなるまで一緒に、ということで。 チロちゃんが初めてくれた未来への約束だと思った。 「うん、うん、いく……っ、チロちゃんといっしょに、ぜったい、いく」 勢い込んでチロちゃんの両腕をぎゅっとつかむ。 けれど、零れ落ちた小さな呻き声と、しかめられた目元に、慌てて両手を離した。 「……チロちゃん、うで、どうしたの?」 暗くていままで気づかなかったけど、、少しだけ捲れあがった上着の袖から、あざのようなものがのぞいていた。 服の陰になり見えにくかったが、白い肌が赤紫色になり、痛々しかった。 さっと袖を引き下げたチロちゃんが、微かだが息をのんだのがわかった。 「……ちょっとぶつけちゃって……」 「いたそう」 ちょっとぶつけたという程度にはどうにも思えない。無意識のうちに手を伸ばしかけ、はっとする。 多分。いや確実に、このまま触れれば怪我を治してしまうと思った。治してしまえば、どうやって治したのか、という問いに答えなければいけないだろう。 嘘をつくのは駄目だ。言葉には魂が宿るから。なにより、チロちゃんに嘘は言いたくない。 けれど最初にあったとき、魔女は嫌いだとはっきり言われてる。 嫌われるだろうか。嫌われたら、と思ったら胸がきゅうきゅう締め付けられて苦しくなった。 ――でも。それでも。 「あのね、ちょっとだけ、めをとじてくれる?」 唐突な私のお願いに、チロちゃんは戸惑ったようにやや目線をさまよわせ、でも最後には何も言わずに閉じてくれた。 「……これでいい?」 「うん、ありがとう」 まず、膝の上におかれた手の甲に触れる。そこから袖の中に指を差し入れる。指先にチロちゃんの緊張が伝わってきた。 だいじょうぶ、できる。私は絶対にチロちゃんを傷つけたりしない。 ざらりとした感触に手を止める。きゅっと唇を噛み締める。指先に熱が集まる。ちりちりと痺れて少し痛い。 目を閉じ、癒しの呪文を口の中で何度か唱える。触れ合う肌が燃えるように熱くなり、一瞬の後、熱量は煙のように消えうせた。 「チロちゃん、もう、め、あけていい、よ……」 薄い瞼の下から、黒色の双眸があらわれる。 すっかり消えた痣に目を落として、今度こそはっきりとチロちゃんは息をのんだ。 驚愕に見開かれた目が怖くて、下を向く。 「わたしのこと――きらいになる?」 かすれた問いかけは、穏やかな夜風にすらかき消されてしまいそうなか細さだった。 チロちゃんに聞こえたかわからなかったけれど、もう一度言葉にする勇気はどこをさがしても出てこない。 身じろぎもせずに俯く。草の上についていた手に、細い指先が重なった。 ばっと顔をあげると、チロちゃんがふるりと頭を横に振った。 「どんなゆうなでも、嫌いになんてならない」 穏やかな笑みが、少しひんやりした手のひらが、その言葉に偽りがないことを告げている。 ぼろっと、涙がこぼれた。ほっとした。うれしかった。 「泣かないで。泣かれるとどうしていいか、わからなくなる」 戸惑ったように目元をぬぐわれると、ますます涙はあふれて止まらなかった。 慌てるチロちゃんの前で、私は声をたてて泣いた。 ――チロちゃんがすき。だいすき。 頬に添えられた手のひらだけじゃ、全然足りなくて。チロちゃん全部を感じたくて、両腕を思い切り突き出す。 「え、わ……ゆう……っ」 渾身の勢いで飛びついた。首に思いっきり抱きついた私と共に、不意をつかれたチロちゃんが後ろに倒れこむ。 ざざっと草が倒れる音。ぱっと目を開けば、私の唇がチロちゃんのそれに重なっていた。 ――あれ? これって「くちびるをあわせた」ってこと? ……うん、でもチロちゃんは「おんなのこ」だ。よし、だいじょうぶ。 「……っ」 ぐいっと肩が押し返され、見下ろす先では、チロちゃんが頬を薄紅色に染めて唇を押さえていた。 「ゆうな、この、馬鹿」 えへへと泣き笑いの私を見て、なぜかちろちゃんも泣き出しそうな顔をする。 「チロちゃん?」 どうしたの? とたずねるよりも早く、華奢な腕の中に抱きしめられていた。 「――ありがとう」 夕闇の静けさでなければ聞こえなかったかもしれない。それくらい、小さな声だった。 なんの、ありがとう? 聞きたかったけど、聞けなかった。 私を包み込む身体が、微かに震えていたから。 「どんな私でも、ゆうなは好きって言ってくれる?」 「いう。どんなチロちゃんでもすき」 少しの間も空けずに答えたら、更にぎゅっと抱きしめられてしまい、うにゃっとひしゃげた声が漏れた。 チロちゃんの雰囲気がやわらかくほどける。腕の力もするりと緩んだ。 「ごめんね、帰ろう。今度はなんていわれても送っていくからね」 強気に手を引かれ歩き出す。私の歩調に合わせてややゆっくり進む道中は、「何があっても女の子がこんな時間に独りで出歩いちゃいけません」、に始まる素敵なみっちりお説教時間となった。 チロちゃんも女の子なのにー、といえる度胸は、さすがになかった。ぶっちゃけ静かな口調がとても怖かったです。 そうして、私はチロちゃんにおばあちゃん家の傍まで送ってもらい。 恐る恐る玄関を開けた直後、待ち構えていたのはおばあちゃんからの更なるお説教だったわけで。 亀の甲より年の功、うん、おばあちゃんはもう全体が怖かった……。 |
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