三章 月姫の役割(2) |
暗闇が支配する居城の一室。ぼんやりと薄明かりの照る中、重厚な調度が並ぶ王の執務室には、二人の男が居た。 「いまだ、月姫は見つからんのか。」 冷徹な男の声。執務机に向かい椅子に腰掛けているガルベス国王のものである。 「はっ。申し訳ありません。ただいま捜索範囲を広げて我が第一師団総出にて探索中にございますが・・・発見の報告は・・・。」 だんっ。王が苛立たしげに机を叩く。 その音に、王の眼前に佇んでいた第一師団長の肩が竦む。 「・・・やはり、逃げたか。」 誰に言うともなく、国王が苦々しげに呟く。 「は?」 「・・・シューツ卿。良いか、これからそなたに行ってもらいたことがある。極秘、かつ迅速に、だ。」 王の言葉に第一師団長が緊張気味に頷く。月姫の探索が思わしくない状況でこれ以上王の機嫌を損ねれば、自分の地位が危うくなるのだ。自身の保身の為には何としてもこれ以上の失態を重ねるわけには行かなかった。四半世紀以上も権力に癒着し、その恩恵に与ってきた男は今現在、窮地に立たされていた。 「伎流(ギル)=シューツ、不肖の身ながら、一命にかえましても必ずや陛下の御ために。」 王が、嘲りの笑みを浮かべる。ガルベス王にとって彼のような人物は考えが手にとるように理解できる、実に扱いやすい駒なのである。 第一師団長は生真面目に敬礼したまま、王の嘲りには気づかず指令を待っている。 「うむ。では、夜明けとともにアシュ山のキクス遺跡より火薬玉を打ち上げて欲しい。必ずそなたの一人の手により実行せよ。部下は連れて行くな、よいな。」 「は、必ずや。」 「では、さがるが良い。」 再度敬礼をし、シューツ卿が王の執務室より退出していく。完全に扉が閉まるのを確認すると、ガルベス王はゆっくりと椅子から立ち上がり、執務机の右手に位置しているベランダへと通ずる窓辺へと近づいた。 「逃がしはせん、可流紗=ユライ。お前は私の贄。生涯その身、捧げてもらうぞ。」 ベランダ越しに眺める王都。深夜であってもきらびやかな明かりに包まれたその眺めに魅入りながら、王は静かに・・・笑っていた。 「まぁまぁ、本当に若長様にも困ったものですわ。大切なお客様を襲おうとするとは・・・。」 呆れた口調、表情。やれやれと頬に手を当て、これ見よがしに大きな溜息を吐いてみせているのは草原の長老の一人、埜白が頭の上がらない数少ない人間でもある老女。その前にむっつりと黙り込み、足を組んで座しているのは当然のごとく、可流紗を襲おうとした男、埜白である。 「・・・一応、同意するかは確認した。」 はあぁっ。さらに老女の深い溜息。 「若長様、そこで同意を得られていないのに行為に及ぼうとするのを、『襲う』というのですわ。」 その言葉に、老女の横に畏まって座っていた淦遮がこくこくと首を縦に振る。だが、埜白の視線が痛いのかその顔はやや強張っている。 可流紗の天幕を出た後、埜白は婆様の天幕に呼ばれ、吊るし上げの憂き目にあっていた。じっくり、たっぷり嫌味を云われること数刻。既に空が白んできている。室内の端に据えられた炉に火が入っているとはいえ、キンと凍った空気がじわりと染みて、身体はだいぶ冷えていた。 「あー、はいはい。確かに俺が悪かった。性急すぎました。次は手順を踏んできっちり落とすことする。同意の上なら問題ないだろ。」 埜白が両手をあげて降参の意を示した。けして激しく叱咤されるわけでも、体罰を与えるわけでもないが、最終的にこの老女は必ず相手を降伏させてしまう。埜白とて例外では無かった。 「同意の上であれば、ですよ?どうか若長様、先走らないでくださいまし。皆、貴方を慕っているのです。御身、大切になさいまし。」 心底、埜白の身を案じているその真摯なまなざし。埜白の口元に苦笑が浮かぶ。 「ああ、わかった。・・・だが、婆殿。今しばらく月姫をこの集落に留めたい。すまないが、よろしく頼む。」 埜白の頭が深々と下げられる。 「ええ、お任せくださいな。ただ、集落の女達に隠しておくのは難しいかもしれませんね。・・・月姫とばれないように、それとなく私から紹介しておきますわ。」 にっこりと婆様が請け負う。成り行きを見守っていた淦遮がほっと気を緩める様子に、天幕の中の空気が和やかなものへと変化する。 「あー、若長様だぁ。おはよぉございまぁす。」 のんびりとした幼い少女の声。入り口から耶玖が顔を覗かせていた。 薄ぼんやりと明るかった天幕内にさっと朝日が差し込んでくる。耶玖の背後に日の出がみえた。 「婆様、お水汲んできたよー。」 耶玖の小さな腕に抱えられた桶の中から、水音が響く。陽の眩しさに眼を細めていた埜白が挨拶を返しながら立ち上がり、耶玖から桶を受け取る。ガシガシと小さな頭をなでてやると、歓声をあげながら耶玖が埜白の腕にしがみ付いてきた。 「おはよう、耶玖。今日はずいぶん早いのではなくて?何か、あるのかしら?」 満面の笑みをたたえた婆様の言葉に耶玖が表情を更に明るくする。 「えへへ。あのね。耶玖、可流紗様と一緒に朝ご飯、食べたいの。婆様、いい?」 首をやや傾げて耶玖が婆様の様子を伺う。 「まあぁ、そうね。耶玖と一緒なら可流紗殿も食が進むというものだわ。」 名案だというように、老女が手を打ち合わせた。淦遮も賛同の意を表す。実は昨夜、淦遮が食事を運んだのだが、結局少女は口をつけなかったのだ。だが、耶玖の話を聞いた限りではあるが、かなり可流紗の態度が耶玖に対して軟化している。耶玖が食事を運べば拒まれないであろう可能性は高い。 「やったぁ。じゃ、支度してくる。」 埜白の腕に絡まっていた耶玖が弾んだ足取りで天幕を飛び出していった。 その後ろ姿を見送りながら埜白が腹減ったなとぼそりと呟き、淦遮に桶を渡すとお茶を入れるように要求する。はいはいと返事をしつつ、淦遮が鍋に水を移し火に掛け、簡単な保存食を出そうと動き出す。 集落の中から白い煙が立ち昇り、草原の朝が、始まろうとしていた。 「可流紗様、おいしい?そのスープ、耶玖も作るのおてつだいしたのよ?」 くるくるとよく変わる表情をやや不安気にしながら、耶玖が尋ねてきた。 陶製の汁茶碗を口元に運んでいた可流紗が動きを止め、耶玖に微笑みかける。 「とてもおいしいわ。耶玖はいいお嫁さんになれるわね。」 可流紗の言葉に、ぱっと耶玖の表情が華やぐ。そしてやや照れた様に両手で頬を押さえ、えへへと笑って見せる。 「そうかなぁ。いいお嫁さんになれるかなぁ。耶玖、がんばって美味しいお料理作れるようになって、強い旦那様をみつけるんだぁ。」 自分の言葉に更に照れたようにきゃあっと云いながら、耶玖が焼きたてのパンを頬張る。 和やかな朝食風景である。可流紗は暖かい食べ物をもって早朝にやってきた耶玖に否やといえず、結局二人で食事をすることになったのだ。 そうして、可流紗は埜白に攫われてから何も口にしていなかったことに思い至る。耶玖が注いでくれたスープの暖かさに、ほっとしている己に思わず苦笑した。 「可流紗様?」 不思議そうに可流紗を見つめてくる瞳。 誰かと朝食をともにするのは久しぶりなのだ、と目の前の幼い少女を見ながら可流紗はぼんやりと考える。 「可流紗様?」 再びの呼びかけに可流紗がはっとする。 「ああ、ごめんね。何?」 「んー、あのね。耶玖、毎朝水を汲みに行くのがお仕事なの。それでね、そのときぱぁんって、遠くの方で赤い煙が上がったのが見えたの。なんだったのかなぁって。」 「・・・・赤い、煙・・・?」 可流紗の表情が強張る。その様子に耶玖が驚き、口を噤む。 「本当に、赤い煙だった?」 硬い可流紗の声に、耶玖がこくりと頷く。 「・・・方角は、日の出の右側?」 こくり。 「アシュ山の、キクス遺跡、か・・。」 天幕の中が静まり返る。 草原からの鳥たちの囀りがやけに大きく聞こえた。 「可流紗様?大丈夫?・・・耶玖、何かいけないことをいった?」 耶玖の泣き出しそうな顔に可流紗が首を横に振る。さらりと音を立てながら髪が揺れた。 両手をきつく握り締る。蒼白になった顔を上げ、可流紗は耶玖に告げる。 「・・・耶玖、お願いがあるの。・・・・埜白・・殿を、呼んで来てもらえる?」 少女は決断をしなければならなかった。最早、猶予は無かった。 |
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