三章 月姫の役割(3) |
「あなたが望むものは、自身が王位につくことではない、のね?」 真っ直ぐに自分を見つめてくる金色の瞳に埜白は皮肉気な笑みを漏らす。 先程、耶玖が可流紗に頼まれ自分を呼びに来たときは何事かと思い、朝食も早々に済ませて、可流紗の天幕にやってきたのだ。しかも、呼んでおいて一向に話し出す気配のなかった少女が漸く口を開いた第一声が、これである。 「ああ、王位に興味なぞ無い。」 「・・・そう。」 「で?いまさらそんなことを確認してどうする?王位に興味が無ければ、俺の子を産んでくれるとでも?」 可流紗が軽く息を呑む。重ねあわされた両の手が微かに震えている。 ―――やはり同意の上では、無理か。 埜白が可流紗のその様子に内心軽く溜息を吐いたと同時に、少女が固い声で予想外の言葉を紡いだ。 「・・・・それは、条件次第、よ。」 埜白が、眼を見張る。だがそれは一瞬のこと。再び余裕の表情で目の前の少女を楽しげに眺め、「条件?」と次の言葉を促す。 可流紗が、埜白を見据えた。 「貴方と二夜の間、寝所を共にします。 その後は私を塔へ帰すこと。もし二夜の間に子を成せていなかった場合は・・・自分の子を王位につけること諦めて、貴方は草原で一生を終える。それが、私の条件です。」 一息に可流紗が告げる。静寂が、満ちた。 埜白の笑みが消えている。 「それは、ずいぶんと俺に分が悪いんじゃないか?」 「ええ。そうでしょうね。でも、この条件をあなたが承諾しなくとも、月が満ちれば此処より逃げ出すなど造作も無いこと。其の時は、私は貴方を許すつもりはありません。行った行為へのそれなりの代償は覚悟していただく。」 埜白が顎を撫でながら思案する。その様子を見つめる可流紗。 昨夜の頑なな拒絶。なのに今は条件付とはいえ、埜白に抱かれても良いと、いっている。 ――――なにか、あったか。 だが、この少女の胸中にどのような葛藤があったとしても、この申し出は埜白にとって好都合であった。二夜の間に子を成せるかどうか、賭けではあるが不可能では、ない。 「いいだろう。その条件を、呑もう。」 可流紗の眼差しが僅かに揺らぐ。 「子供が、できていたときは貴方のところへ梟を飛ばします。ただ、その後・・・」 貴方はどうするつもりか。言外の言葉を読み取り、埜白が軽く頷く。 「王に分からないように五老会に知らせる。五老会の連中は、必ずあんたにつく。」 「確証が、あるのですか?」 「ああ。100年近く前にあった内乱。あれは、月姫の最初の子が王にならなかったために起きた。五老会の探し出してきた第一子と当時の王との戦いだったのさ。月の加護は月姫の第一子にのみ受け継がれる。五老会が望んでいるのは、血のつながりではなく、月の加護を得ることのできる王、だ。」 可流紗が眼を見開く。何故、そんなことまで知っているのか。真実だとすると明らかに最高機密に属する内容である。 埜白が苦笑を漏らす。 「・・・まあとにかく、契約成立だ。また日没後に来る。・・・逃げるなよ?」 にやにや笑いながら、埜白が踵を返す。その背中に向って可流紗が挑戦的な眼差しを向ける。 「約束は、守る。」 可流紗の言葉を背中で受け止め、埜白が僅かに声をたてて笑う。そのまま歩みを止めることなく、ひらひらと片手を振り天幕を後にした。 「若長様。」 集落の中心に歩を進めていた埜白に老女の声が掛かる。ふと視線を向けると、そこには思案気な面持ちで佇んでいる婆様の姿があった。 「よお。同意を取り付けてきたぞ?」 埜白の言葉に婆様が溜息を吐く。 「・・・埜白殿。」 「止めるのは、無しだぞ?今回は淦遮にも邪魔させるつもりはないしな。」 「わかっています。同意の上であれば、私も邪魔は致しませんよ。・・・ただ、私のお願いだけは、お忘れございますな。」 ――――その身を粗末にすることなく。 老女の言葉に埜白が軽く頷く。 「ああ。俺も、そうそう自分の身を軽々しく扱おうとは思わないさ。安心してくれ。」 その顔に笑みを刻んだまま埜白が再び歩き出す。その後姿を見送る老女の胸中にはいいしれぬ不安が渦巻いていた。 |
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