Act.02 人魚は仁に懐くもの?


「やっぱり、警察に届けるべきだよな。」

シャーペンを持った手で軽く顎を撫でながら、閃はぼんやりと呟いた。

午前中の講義が終わり昼までまだ間があったので、閃は大学構内にある図書館で時間を潰していたのである。

「ああ?なんだって?」

隣に座っていた同じゼミ友人の高倉が、不審そうに閃へと顔を向ける。

「いや、こっちの話。」

あいかわらずぼんやりとしたまま、閃が軽く首を振った。

「ふん。それより、お前大丈夫なのか?えらく顔色悪いぞ。」

高倉が愛想の無い表情で、閃を眺めてくる。
多少強面ではあるが根はいい奴なんだよな、と閃が苦笑した。

「昨日、ほとんど寝てないから。」

「うわ、またバイトかよ。いいかげんにしないと身体壊すぞ。―――しっかし、なんでそんなバイト三昧の癖にお前成績落ちないのよ?」

「もともとの出来?」

バコッ。高倉の鉄拳が閃の後頭部にヒットした。

「痛い。」

「おう。よかったな、生きてる証拠だ。ほれ、これやる。」

むっつりとしたままの高倉が、閃の手にひんやりとした瓶を握らせる。どうやら栄養ドリンクらしい。

「さんきゅ。」

素直に礼をいって、閃は蓋を開け中身を飲み干した。
あまり美味とは云いがたい味ではあるが、これでなんとか午後の授業をのりきれそうである。


ついうっかりと昨日拾ってしまった人魚、もとい少女は、朝になってもやっぱり閃の家に居座っていた。
閃は芽衣に布団を取られ、炬燵で寝ることとなってしまったのだが、今朝、その当の少女に揺り起こされたのである。

寝ぼけ眼でいる閃に芽衣が言い放った一言は、いっそ潔いほど簡潔だった。

「閃。お腹すいた。朝ごはん、作って。」

時計を見れば、午前六時。

―――勘弁してくれ。夕べあれだけ食べて、なんで腹が減るんだ。

一緒に夜食に付き合った閃は、胸焼けがしているというのに、この細い体のどこに入るのかと訝しく思いつつ。
それでも閃は仕方なく、台所で昨夜と同じようにフライパンを握る嵌めになっていた。

「昨日も思ったけど、料理、上手いのね。食生活が潤ってるっていいことよね。」

ぱくぱくと閃の作った料理を食べながら、芽衣がうれしそうに微笑む。



―――不覚にも、可愛いと思ってしまったのは――――きっと気の迷いだ。

シャーペンを無意味にカチカチ押しながら、閃はやっぱり警察に届けようと―――堅く決意していた。





午後の講義が終わって、閃はバイトに向おうと帰り支度をしていた。

「・・・・なんか、騒がしい?」

教室の外からざわざわと人の話し声が聞こえてくるのはいつものことである。
が、今日はそれに混じって何故か閃の名前が呼ばれているような気がした。

「?」

訝しく思いながらも、閃はのんびりとリュックを肩に引っ掛けると教室を出ようと歩き出す。

「せーんっ!」

「っ!?」

―――あ、ありえない。

肩口に引っ掛けていたリュックが、ぼたりと床に転がった。

廊下から教室の中を覗き込んでいる見知った少女の姿に、閃が激しく眩暈を覚える。

呆然と固まる閃の元へ、軽やかな足取りで芽衣が近づいてきていた。

「な、なんでここが?」

「これ。部屋に転がってたわ。」

ひょいっと芽衣がコートのポケットから薄いカードのようなものを取り出す。
よくよく見てみれば、それは閃の学生証だった。

どうやら、学生証の大学名を頼りにやってきたらしい。
それにしてもよく閃のいる場所がわかったものであると思いながら、芽衣のやってきた方角に目を向ける。

それですべて納得が、いった。


「芽衣ちゃーん、ちゃんと見つかってよかったねー。」

「高波ー、お前いつの間に彼女なんか作ったんだよー、この裏切り者ー。」

「そんな勉強・バイトオタクより、オレと付き合おうよー。」


等などなど・・・・・。廊下から覗いている鈴なりの顔、顔、顔。

どうやら構内のいたるところで、芽衣が閃の居場所を尋ねまわったのであろう事は容易に想像がついた。

―――ほんとにオレ、どうしてあの時ほっとかなかったんだろう。

今更しても遅い後悔を死ぬほどしつつ。
閃はリュックを拾い上げると、芽衣の腕を引っ張って急いで人気のないところへと移動した。



「閃、何か怒ってるの?」

ずんずんと歩いてく閃に、不思議そうな顔をして芽衣が聞いてくる。

「あきれてるだけ。」

ぶっきらぼうに答えた閃は、辺りに人気がないことを確認し、ぴたりと足を止めた。

大学の構内にある講堂の裏手まで二人はやってきていた。

「どうして?」

芽衣が僅かに首を傾げ、黒い瞳で真っ直ぐに閃を見つめてくる。

―――どうして?

そうはっきり聞かれると、明確な回答を導き出せない。
閃が言葉に詰まった。

「――――――――はぁ。」

「?」

「もう、いいよ。それよりも、オレこれからバイトだから。独りで帰れる?」

「無理。だって、歩いてきたから疲れちゃったわ。」

「あ、歩いてきた!?」

「そう。結構距離あるのね。」

あるもなにも、車で来ても20分はかかる距離である。

―――そういえば、金、もってないから電車には―――乗れないか。

思い至った事実。だが、ふと芽衣の着ている服が目に付いた。
昨日と同じものであるが、芽衣が本当に人魚であるなら―――この服はどうしたのかと思ったのである。

「金、持ってないのに、その服?」

どうやって手に入れたのかと首を傾げる閃に対して「お金なら持ってるわよ?」と芽衣は当然の如く言い放った。

「え?」

「海には、いろいろ落ちてるのよ。もちろんお金もね。だから海沿いの民家でちょっと洋服を借りてからお店に服を買いに行ったの。あ、ちゃんと借りた洋服は後で返したわよ。―――納得した?」

閃はすらすらと答える芽衣に、素直に頷いた。

「―――納得。それにしても、じゃあ電車でくればよかったのに。」

「乗り方、よく判らなかったんだもの。仕方ないわ。」

肩をすくめて言う芽衣に、何でそこまでしてここにきたのかと、閃の中に再び疑問が生まれた。

「なんで、そこまでしてオレのところに?」

「え?ああ。用事ってこと?」

「―――――――。」

「閃、お腹すいたから、何か作って。」

にっこり、芽衣が閃に微笑みかける。
云っている内容を考えなければ、万人がうっとりするような見事な笑みだった。


―――餌付け?

芽衣の言葉にふと浮かんだ、単語。自分の考えに閃が嫌な汗をかく。

―――ひょっとして、オレ、餌付けしたことになるのか?

引き攣った笑いを漏らしながら、閃はこのときほど自分の料理の腕前を恨んだことは無かった―――。



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