Act.03 人魚は守ってあげたくなるもの?


閃が芽衣を助けてから、もう一週間が経とうとしていた。


―――オレ、何してるんだろう?

台所に立ちながら、ぼんやりとフライパンの中のチャーハンを眺める。
こんがりと狐色に焼きあがったそれは、六畳一間の中にとても香ばしい匂いを振りまいていた。

「閃ー、夕飯まだー?」

ぬくぬくと炬燵に入り込んでいる芽衣が催促の声をかけてくる。

すっかり恒例となったこの状況。
確実に順応しつつある自分がちょっと怖いなと思いながら、閃が二人分の皿にチャーハンをのせた。
閃は、いままで独り分だった食事を二人分準備することになんの違和感も感じなくなっている。

「―――もう、できてるよ。芽衣、とりあえずテーブルの上のものどかして。」

閃が二人分の皿を運んでいくと、芽衣がガタガタとテーブルの上のものをどかしていた。

「今日は、チャーハンね。」

嬉しそうに皿を受け取る芽衣の姿に、閃が苦笑する。
閃が座り込むまで待って、芽衣が「いただきます。」と丁寧に告げた。
「はい、どうぞ。」と、これまた恒例となった閃の言葉を待って、芽衣がパクパクとスプーンを口に運び出す。

―――警察、行きそびれたよなぁ。

閃のスプーンを持つ手が止まった。

―――ひょっとして、情が移ったのかな。

おいしそうに、チャーハンを頬張る芽衣。

―――はじめは成り行き。じゃあ、今は?

答えの出ない自らの問いに、閃はぼんやりと芽衣見つめた。
じっと見られていることに気づいたのか、芽衣が食べる手を止める。

「どうしたの?」

「え?いや、別に。」

「ふーん?別に、いいけどね?―――――あれ、閃、それ――何?」

「それ?」

閃が答えるより早く、芽衣の手が閃に向けて伸ばされ、シャツについたポケットの中に突っ込まれた。

するっと引き出されたそれは、赤い布に青い組み紐のついたお守り袋。

「ああ。これ、ね。お守り袋だよ。田舎のばーちゃんが昔くれたやつ。」

何故かしげしげと芽衣がお守り袋を眺めている。
どうかしたのかと問おうとした閃に、芽衣がぽつりと「これ、水難避けね。」と言った。


「水難避け?」

「そうよ。なぁに、知らないで身につけてたの?」

「はあ。効能はあんまり。」


呆れたように、芽衣がお守り袋を閃に差し出した。
閃は受け取り、またポケットに仕舞いなおす。

いままで身につけているわけではないのだが、この間偶然部屋の片隅から出て来てから、何となく持ち歩いていたものだった。

「昔、おぼれたことがあるんでしょ。」

「いや、特には―――――ないと、思うけど。」

「――――本当に?」

妙に疑い深そうな調子で、芽衣が閃に尋ねる。

やや不審に思って閃が「どうして?」と聞き返したのだが、芽衣は「別に、なんでもないわ。」とそっけなく返してきた。

「?」

不可解な芽衣の態度に、閃が首を傾げる。
だが、それ以上芽衣がそのことについて口を開くことは無かった。




結局、夕飯が終わってからもどことなく覇気の無い芽衣の様子に、閃が「芽衣、ちょっと散歩に―――いかない?」と声を掛けた。

「え?」

炬燵でぬくぬくとテレビを見ていた芽衣が驚いた表情で閃を見つめてくる。

「寒いかな?」

芽衣のコートと、自分のマフラーを芽衣に差し出しながら、閃は肩をすくめて見せた。

「そんなこと、ないけど。どうしたの、急に。」

「何か、落ち込んでる、よな。」

「―――――――そんなこと、ないわよ。でも、いいわ。閃が行きたいなら付き合ってあげる。」

ようやく、にっこりと芽衣が笑った。
閃は、何故かほっとしている自分に気づく。

「それは、どうも。」

閃の差し出したコートとマフラーを手に取りながら、芽衣はくすくす笑っていた。




「うわ。すごく、気持ちいいーっ!」

真冬の闇に沈んだ海を眺めながら、砂浜で芽衣が叫んだ。
芽衣の後ろを歩いていた閃が、ぼんやりと子供のようだな、と思う。

―――本当に、人魚なんだろうか?

ありえない、閃の理性は、きっぱりと芽衣の話した事を否定している。
だが、ほんの少し。理性で無い部分は――――。

―――馬鹿だな、そんなことあるわけないのに。人魚のわけがない。

自分の考えを軽く頭を振りながら閃は否定した。

「芽衣、あんまりそっちにいくと濡れる――――」

ざばんっ。いっている傍から水音が響き、閃が思わず片手で顔を覆う。

「せーん。ほらほら、気持ちいいわよー!」

「寒く、ないのか、な?―――普段、あれだけ炬燵と仲良しなのに。」

芽衣の言葉と共にきこえてくる水を掻き分ける音に、閃がぼんやりと呟いた。

―――人魚、だから?水、好きなのか、な?―――いや、それはそもそも前提が間違ってるな。人魚なんて、いない。

まとまらない自身の考え。珍しく振り回されている事実に、だがなぜか閃は不快感を感じてはいない。



「きゃっ」

ぼんやりとしていた閃からやや離れた場所で、突然、芽衣の高い悲鳴があがった。

「芽衣!?」

闇に包まれた砂浜の上を、芽衣の声を頼りに閃が走る。

やや離れた位置に、芽衣と――――見知らぬ男が、いた。

芽衣のつややかな黒髪を男の無骨な手が鷲掴みにしている。

―――むかっ。

閃の眦が、僅かに上がった。なにやら、無性に腹立たしい。

芽衣が、男の手から逃れようともがいている。

「―――よお。奇遇だな、電波女?」

芽衣の髪を掴み上げたまま、男が芽衣に話しかけた。
芽衣が、きつく男を睨みつけながら「離してよ!」と叫んでいる。


閃は、無言でざくざく砂浜を踏みしめながら男のすぐ傍まで進んでいった。
突然やってきた閃に、男が驚いたような視線を向けてくる。

閃は、足を止めると、いつもより低めの声で「あんた、誰?」と、男に問いかけた。

「お前はこそ、誰だよ。なに、この女の知り合い?お前は知らなくても、こっちの女はオレのこと知ってるよ、な?」

ぐいっと芽衣の髪が引かれる。痛みに顔をしかめならがも、芽衣は気丈に男をにらみつけていた。

「何よ、自主規制男。」

―――自主規制?

ふと芽衣が最初に出会ったとき話していた男のことを思い出し、閃は合点がいった。
男のことを話すときに言っていた言葉は、確かに自主規制内にはいるものである。

だが、男にはなんのことだかわからなかったようだ。目を細めると、さらに芽衣の髪をきりきり引っ張る。

「ああ?なんだ、そりゃ?わけわかんねえこと、いってんなよ!お前のお陰で美穂子に振られたんだぞ?責任、取れよ!」

きつく引かれた髪の痛みに芽衣が僅かに呻いた。

「芽衣っ」

閃が、たまらず芽衣に向って手を伸ばす。だが、男がにやりと笑い、片手を上げて閃を制した。

「逆らうなよ、兄ちゃん。そんなひ弱そうななりじゃ、オレにはかなわねーぞ?」

確かに、男の体格は良かった。
背こそ閃が勝っているが、そのほかの部分では、あきらかに閃より男の方が恰幅がいい。

だが、閃はまったく怯まず。「そんなこと、わからないよ。やってみなけりゃ、ね。」と言い放った。

閃の不遜な態度に「ああ!?」と凄む男。と、閃に意識が向いたせいか、芽衣を捕らえる男の腕がわずかに緩んだ。

その隙を逃さず、いつものぼんやりした動きからは信じられないほど素早く、閃の体が男に向って動いた。

ほんの一瞬のうちに、閃が男の腕をねじり上げる。

あまりに突然の出来事に、男どころか、芽衣すら呆然としていた。



実は、文武両道を目指す田舎の祖父により、昔強制的に武道を習わされていた閃は、密かに段持ちだったりする。

閃の外見で判断した挙句、舐めてかかっていた男はよっぽどショックだったのか、ぎりぎりと締め上げられる腕の痛みに情けない悲鳴をあげていた。

ころあいを見はかり、ぱっと閃は男の腕を解放する。

砂浜に崩れ落ちた男は、ぎっとばかりに閃を睨み据えてきたが、力量を差を悟ったのか「おぼえてろよ!」と実に芸の無い台詞を吐き捨てると、すたこらさっさと走りにくい砂浜を信じられない速度で駆け去ってしまった。

閃が、やれやれと肩をすくめ、砂浜に両膝をついたまま、びっくり眼で見つめてきている芽衣に苦笑しながら手を差し出した。

呆然としていた芽衣の顔がみるみる真っ赤になっていく。
がしっと閃の差し出した腕にしがみついて、さっと身をおこした。

「―――なによ。庇ってもらわなくても、全然大丈夫だったんだから。」

ふいっと横を向いてしまった芽衣の目が、潤んでいる。
だが、それには気づかない振りをし「はいはい。そうだね。」と、閃が軽く返した。

「―――――――。」

むっと口を引きむすんだまま、くやしそうな芽衣。
その細い指が、閃の頬を抓った――――。



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