ACT.03 二人きり……?


ああ、家賃・・・7:3・・・やっぱり惜しいことしたかなぁ・・・。

西日の差す夕暮れ。ささめは再び例の男とあった不動産屋の前に来ていた。
衝撃の申し出から既に一週間が経とうとしている。

実は、再びあの男と会ってしまうかもしれないと思い、その後この不動産屋には足を運んでいなかったのだが。

ささめは未だに決まらない引越し先に、そんなことを思ってしまう程焦っていた。

不動産屋の前で、深く溜息をつく。
しかし、溜息をついたからといって物件の家賃が安くなろうはずもない。

困ったと、ほとほと思う。

「・・・どうしよう・・・。」

ささめは今の心境を、思わず口にしていた。

いますぐとは言わないが、せめて明日から入れる物件はないか―――と。
甚だ非常識なことを考えてしまう。

しかし普通に考えてささめの考えている条件に一致するような物件が、そうそう都合よく転がっているはずが無い。

そもそもこんな切羽詰った状態で簡単に見つかるようであれば、今まで探していた期間の苦労はなんだったのかということになると、ささめは諦めの溜息をついた。

実は、ささめがここまで追い詰められているのはやっぱり理由がある。
明日から両親が新婚旅行に出かけてしまうのだ。

つまり、鷹野 昴と二人っきり。

・・・自意識過剰、あの鷹野 昴が自分に妹として以外の興味を持つはずがない。
そう思ってはいても、ささめはどことなく不安を覚える。

母が再婚し、いままで暮らしていた家を出て、ささめと母が鷹野家で一緒に暮らし始めて早数週間。
たまに外泊することもあるが大抵は家にいる鷹野 昴をちょっと意外に感じながらも、ささめは我ながらかなりがんばっていると思っている。

ささめより早く生まれたらしい鷹野 昴をお義兄さん、と呼ぶようにしている。なるべく家族らしく接するようにもしている。

義兄も、とても優しい。そう、ただ一点。やたらめったらささめに対してスキンシップを取ろうとしてくるところ以外は―――――。

あれが、普通の態度なのかなぁ・・・。

ささめは重い溜息をつくと、覇気の無い足取りでとぼとぼとあるきだした。



***




そして―――――翌日。晴れ渡った青空の下。

ささめはタクシーに乗り込み去っていく両親を、自宅の門前にて一人見送ることになっていた。

本当にどうしてこういうときって時間の流れが速いんだろう。なんてことをぼんやり思う。

やや不安そうではあるが嬉しそうな母と、うきうきした義父を乗せ遠ざかっていく黒いタクシー。

二人ににこやかに手を振りながらも、ささめは内心溜息を落としていた。
今夜から五日間、義兄と二人きり。

しかし幸いなことに、問題の義兄は朝から出かけている。

とりあえず掃除でもしよう―――ささめは溜息をつきつつ家の中へと戻った。


ぽーん、ぽーん、ぽーん・・・・・・

ささめの耳に、17時を告げる振り子時計の音が届いたのは、かなり埃の溜まった書棚の中から一通り書籍を出し終わり、雑巾で棚を乾拭きしている時のことだった。

「え?もうそんな時間??」

・・・夢中になりすぎた。

自戒の念をこめて、ささめが雑巾を握り締める。
どうやらあまりに掃除に熱中するあまり、時間の感覚が無くなっていたらしい。

「ご飯、作らなきゃ。」

雑巾を持って慌てて書斎から飛び出した。
基本的に自炊。それはささめにしっかりと根付いている習慣だった。

一階に降り、キッチンに向う。しかしその途中でささめの足が、ふと止まる。

―――お義兄さん、ご飯どうするんだろう・・・・??

何も、聞いていなかった。そもそも朝、顔を会わせてすらいない。

このまま一人分だけ作った後に、義兄が帰ってきたらそれはそれで気まずい。
だが、帰ってこない、若しくは外で食べてくる、という方が確率的には高い気がする。

―――どうしよう・・・・??

ささめは母が再婚してから最早何度目になるかわからない疑問詞を心の中で呟く。

私、この頃悩んでばっかりのような気がする・・・。

ささめの口から、ふうっと疲れた溜息が漏れた。

本当に母親の再婚には賛成している。義父もやさしい。

だが、ささめはなるべく早く自分のこの状況を脱するべく部屋を見つけようと、これまた何度目になるのかわからない決意を固めて―――・・・


「あれ、ささめちゃん。どうしたの?廊下の真ん中で拳なんか握り締めちゃって。」

背後から聞こえた柔和な声。ささめはぎょっとし、ものすごい勢いで振り返った。
三つ編みにしてある黒髪がぶぉん、と音を立てる。

キャラメル色のさらさら髪と、茶色ッぽい瞳。線の細く見える、でもすらしとして均整のとれた体。大きめな白いセーターと黒いジーンズ。甘いマスクに甘い笑顔。

振り向いた先にいたその人物。これが問題の、ささめの義兄・昂、だった。

「え――あ――・・・お!・・・・お、おかえりなさい!!」

質問された答えになっていなかったが、ささめは反射的にそう返していた。
家人が帰ってきた時にはとりあえず挨拶、と母親に仕込まれている。

雀百まで踊り忘れず・・・いや、寧ろパブロフの犬並な条件反射である。

ささめの突然の反応に、昂がびっくりしたようにささめを見つめていた。
しまったと、ささめが後悔する。過剰に反応しすぎた自分の態度に頭を抱えたくなった。

「あの・・・お義兄さん・・・?」

手に持った雑巾を握り締め、恐る恐る声を掛ける。

「・・・え?ああ、えっと。ただいま。」

ささめをじっと見ていた昂が、はっとしてようやく口を開いた。

「あ。はい。えっと・・・ご飯、とんかつにしようと思うんですが。食べます、か?」

反応してくれたことにほっとしつつ、ささめが笑みを浮かべながら昂に尋ねる。

だが、昂はどこか曖昧に「ああ、うん。」と頷いただけだった。
とんかつ嫌いだったのかなとささめが不安になる。

―――まだ、お店やってるし。もしお義兄さんがとんかつ嫌いなら、違う食材買出しに行こうかな・・・。

そう、思い。ささめが昂に夕飯のリクエストを尋ねてみようとした時だった。
不意に昂が、なにやら甘い笑みを浮かべ、ささめの髪に触れてきたのだ。

ささめの編んである髪が、昂の手の中にあった。

―――あ、また。

ささめの体が無意識のうちに一歩後退する。
何故かこの義兄は、こうしてささめの髪や肩に良く触れてくるのだ。

流石に邪険に振り払うわけにもいかず、ささめはいつも何かと理由を見つけては逃れるようにしていたのだが・・・今日は、なにやら昂の雰囲気が、いつもと違うような気がしていた。

「えっと・・・あの・・・?」

動揺しているささめに、昂が一歩近づく。
これで先程ささめが取った距離は縮まり、またもとに戻った。

そして、さらにもう一歩。昂がささめに向って足を踏み出す。
昂が近づく度にささめの動揺は激しくなった。


「前から思ってたんだけど―――ささめちゃんて、男知らないでしょう。」

低い声で囁く昂。

「・・・は?」

ささめは思いっきり不審な顔で、聞き返していた。

男を、知らない?お義兄さん・・・何言ってるんだろう?
知らないって・・・知らないわけ無いじゃない??
私だって男の人ぐらい知ってるし。

正にクエスチョンマークだらけの頭を傾げながら、ささめはわけがわからなかった。


「教えてあげようか?」

昂が甘く囁き、さらにささめに近づいてくる。
だが、ささめは近づいてきた昂に向って、きっぱりと言い切った。

「知ってますよ?」

きょとりとするささめの前で、昴が目を見張る。
何故そんなに驚かれるのかささめにはさっぱりわからなかった。

「へえ?誰?」

ややして、問われ。
ささめは目の前にいる昴を―――指し示していた。

「・・・おれ?」

心底驚いたような声を上げられ、ささめがややむっとする。

「だって。世の中の人間の半分は男性ですし。そりゃ、男の人の存在くらい知ってます。」

力一杯言い切ったささめ。
・・・昂は笑みを顔に張り付かせたまま固まっていた。

「私、ご飯作りますから。・・・とんかつ、嫌いじゃないですよね?」

最後は、ちょっと窺うようにささめは昂に尋ねた。
相変わらず笑みを貼り付けたまま、昂が頷く。

「・・・うん。嫌いじゃないよ。・・・何か、手伝おうか?」

「いえ!結構なので座っててください!」

どこか呆然としたような昂の申しで。
だが、ささめはひくっと引き攣りつつも笑顔で丁重にお断りを入れた。

「そう?じゃあ、甘えとこうかな。」

笑顔のままぽつりと呟いた義理の兄に「ぜひそうしてください」といい残し、ささめはキッチンへと向った。

その後ろ姿を見送りながら、「かわされたかな。」とぽつりと昴が呟く。
しかし彼は知らなかった。ささめが大真面目に先程の会話を繰り広げていたことを。



・・・なんだっていうんだろう?

キッチンで油を火にかけながら、ささめはわけがわからなかった。
ささめにとって、義兄はまるで違う星の住人であるかのようだった。

その言動がまず理解不能なのだ。
昂に対する噂に振り回されてるわけではない。しかし、噂以上に難解で、噂以上に怪しい人物であると、ささめは既に認識していた。

―――私に、あの人のことが理解できる日が果たしてくるんだろうか?

溜息をつきながら、ささめは充分に熱せれた油の中に既に衣までばっちりつけた豚肉を投入する。
ばちばちと音を立てながら、衣が食欲をそそる色に変化していた。

そして、揚げ物をしている横では、かぐわしい匂いの味噌汁が火に掛かっている。
ささめは味噌汁の鍋に入っていたお玉を取り上げ、味見をしようと小皿に手を伸ばした。


「ささめちゃん、やっぱり手伝おうか?」

「っ!?」

いきなり背後から。耳元で囁かれた。
まったく感じなかった気配。完全に油断していたささめは、思わず握っていたお玉をがこんと落っことした。

い、いつの間にキッチンに入ってきたの!?

「あ、大丈夫?」

なんでもないことのように、義理の兄が床に転がったお玉を拾う。
固まっているささめにまるで頓着せず、兄はお玉を軽く洗うと笑顔でささめに差し出してきた。

ぎしぎしと音がするんじゃないかというほどぎこちない動きでそれを受け取り、ささめは一向に立ち去る気配を見せない兄に、再びひくりと引き攣った笑みを漏らす。

ものすごく、居心地が悪かった。

しかしそんなささめの心情を知ってか知らずか、昂は「あ、とんかつもういいんじゃない?」などと暢気に呟きながら菜ばしでとんかつを油の中から掴みあげていて。

「あの・・・、あの・・・、私ですね・・・・ええっと、お・・・・」

最早自分でも何を言いたいのかわからない。しかし、不意にテーブルの上に乗っていたあるものが、ささめの目にとまった。

「お?」

義兄がささめを見つめながら聞き返してくる。

お、おってなんだろうと自分で思いながらも、ささめはとりあえずテーブルの上に鎮座している、今さっき目に留まった物体の商品名を口にした。

「お!おろしポン酢のたれを買ってまいります!!」

力一杯叫んでいた。
テーブルの上においてある空の容器をがっとばかりにささめがひっつかむ。

「え?ささめちゃ・・・」

驚いたのであろう昂が、目を見開き、ちょっとささめの方へ手を伸ばしながら呼びかけてきた。
だが、これ以上昂と同じ空間にいることが、なにやら居た堪れない。

「では!!」

昂の言葉を途中で遮り、容器を持った手を振るとささめはキッチンを抜け出した。

リビングに脱兎のごとく駆け込み、上着のポケットから財布を取り出した後、財布についた鈴をちりちり鳴らしながら、急いで玄関に向う。

「ささめちゃん、待って!今日とんかつでしょ?おろしポン酢のたれ、なんに使うのー?」

キッチンから不思議そうな義理の兄の声が聞こえたが、ささめはそれには答えず表に駆け出していた。

お、お母さん!か、帰ってきてーーーーっ。

ちりちりと鈴を鳴らしながら、半なき状態で夜道を駆ける。

しかしその叫びは、無論聞き入れられることはなく。
母親は、のんびり温泉につかりながら、ばっちり新婚気分を満喫していることを、ささめは知る由もないのだった・・・。



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